「真珠湾攻撃」という言葉を一度は耳にしたことはあることと思います。第二次世界大戦の日米開戦である真珠湾攻撃から今年の12月8日(米国時間12月7日)で80年が経過しました。 みなさんはこのできごとをどのように学び、どのような認識をもっているでしょうか。
「宣戦布告もせずに突然不意打ちを食らわした卑怯な攻撃」というに理解されている人が多いように感じます。しかし最近では米国内での真珠湾攻撃に対する認識が徐々に変化しているそうです。
当時の米国の大統領はフランクリン・ルーズベルトですが、大統領選時に戦争をしないことを公約のひとつに掲げていました。アジアで力をつけてきた日本(この時の日本の東南アジアへの進出は「侵攻・侵略」なのか「アジアの平和維持活動」なのか、議論と理解が分かれるところです。私たちは近代史をしっかり学ばないとなりませんね)に対し、ルーズベルトはイギリスのチャーチルやソ連のスターリンなどと共に、日本の力を弱体化させなければアジアは欧米の支配下におけないと感じたようです。邪魔な存在である日本に対し、アジアからの撤退要求と石油の禁輸政策で追い詰めていきます。結果として資源の無い日本はその要求を飲むことができず、やむなく開戦への道を選択していくことになります。
日本時間1941年12月7日に日本軍は真珠湾を攻撃するのですが、これによって反戦色の濃かった米国の世論が、「卑怯な不意打ちで多くの米国人の命を奪った日本は絶対に許せん!」と一夜にして戦争容認に一変し、ルーズベルトは世論の後押しを受けて参戦することが可能になります。
当時は「卑怯な日本」に対する開戦であったという理解でしたが、現在では日本を追い込んで仕方なく先に手を出させたのではないかという「ルーズベルト謀略論」が真実味を帯びてきています。当時の米国の諜報能力は断トツで、真珠湾攻撃の10日以上前に空母6隻を含む大艦隊が日本を出港したという情報を米国がキャッチしていないわけがないと容易に推測できることや、真珠湾基地には艦隊の最重要戦力である空母が数日前にすべて出港しており、湾内に停泊していたのは当時の老朽戦艦ばかりであったことも、それを裏付けるようです。
真珠湾攻撃で日本軍は29名が戦死しました。そのうちの一人が飯田房太というゼロ戦のパイロットでした。この飯田パイロットが操縦するゼロ戦は燃料タンクに被弾して燃料が漏れ、もはや母艦への帰還不可能と判断し、米軍の格納庫に突っ込みます。まさに特攻第1号機です。この飯田氏の行為を米国海軍は「敵ながらあっぱれである」と尊敬の念をもって海軍基地内の墜落地点に慰霊碑を1971年に建立し、現在に至るまで定期的に献花を続けているそうです。もはや米国海軍では日本を「卑怯な国」という認識が無いといいます。
また現在、真珠湾にある「アリゾナ記念館」の入口にある掲示板には「日米という二大大国がともに国益を推進しようとする行動が真珠湾でぶつかることになり・・・」という記述があるそうです。これは米国の政府や歴史家、研究員が協議したうえでまとめられた文言で、お互いに(侵略ではなく)国益のための行動の結果であったという見解を示しています。
さらには近年、戦争時のソ連の諜報機関の膨大な記録である「ヴェノナ文書」の解析から、ソ連の東京諜報部、蒋介石、そしてルーズベルトがどうやって米国を第二次大戦に参戦させるかという画策(陰謀)の詳細が明らかになってきているとのことです。
誰もが大切なものの筆頭に「家族」を挙げます。家族を大切に思うのと同じように国民が国家を大切に思うことも大事なことだと感じます。正しい歴史認識をもって、祖国とわが家に改めて思いを寄せながら、わが社を大切に思う心にも気持ちを向けてもらえるとありがたいと思います。今年もお疲れさまでした。来年はさらにいい年を創っていきましょう。