MESSAGEは弊社代表の太田和隆が社員に向けたメッセージを社外向けに加筆してみなさまに読んでいただくコラムです。
ダイヤ冷ケースの仕事に対する考え方を感じてもらえれば幸いです。

8月になると思うこと

 毎年8月になると、終戦や戦争のことがマスコミで取り上げられます。第二次世界大戦、大東亜戦争は、日本にとってどんな戦争だったのか。なぜ始めなくてはならなかったのか。これはとても複雑な問題で、私たち自身も正しく理解している人は多くないと感じます。その理由のひとつに、学校の歴史教育のあり方があると思います。授業は縄文時代から始まり、明治維新あたりで学年が終わってしまい、近代史がほとんど十分に教えられない現状があります。意図的なのかと疑いたくなるほどです。だからこそ、私たち一人ひとりが正しい歴史認識を勉強する必要があり、そのうえで平和を希求することが大切だと思います。

 近代史を振り返ると、明治維新のころ、アジアは欧米列強による植民地化が急速に進んでいました。いわば「力による現状変更」が当たり前の時代でした(ロシアによるウクライナ侵攻も、当時の発想が現代に残っている証拠と言えるかもしれません)。この流れを目の当たりにした日本は、自らが植民地にされないために富国強兵を掲げ、国づくりを進めました。その中でロシアの南下政策とぶつかり、日清戦争・日露戦争へとつながります。

 日露戦争で日本が勝利したことは、白人が支配する世界で有色人種が勝った歴史的な出来事でした。この勝利で日本はロシアの脅威から自国を守ったのですが、同時に欧米は日本を警戒し始めます(三国干渉などが象徴的です)。さらに第一次世界大戦で日本は戦勝国となり、国際社会での地位を高めましたが、これが逆に欧米からの圧力を招きました。ワシントン会議などの国際枠組みは、日本の力を抑える方向に働きました。

 その中で日本は、経済的な自立とアジアの植民地解放を目指すようになります。いわゆる「大東亜共栄圏」という考え方です。満州事変や日中戦争も、こうした流れの中で起こりました。しかし日本の力が強くなることを恐れた欧米との関係は悪化し、とくに満州の権益をめぐって米国と激しく対立しました。

 当時、日本は石油の約80%を米国に依存していました。その供給を止められる危機感から、資源確保を狙って仏領インドシナに進駐しました(相手は当時ここを支配していたフランス軍です)。続いてオランダ領東インドにも進出し、東南アジア一帯を統治しました。これにより欧米の植民地支配からの解放という側面が生まれたのも事実ですが、同時に日本の軍政下で現地の人々に苦難を強いた事実もあったようです。理念と現実、その両面を理解しなければなりません。

 やがて欧米諸国は日本への石油輸出を完全に禁じ、さらに「ハル・ノート」という厳しい要求を突きつけました。それを受け入れることは、日本が欧米の支配下に置かれ植民地化することを意味しました。結果として、日本はやむなく米国との戦争を選び、真珠湾攻撃で開戦となります。その後の米軍による本土空襲や原爆投下は、一般市民を巻き込んだ大量虐殺であり、戦争犯罪ではないかと今も議論されています。

 大切なのは、この歴史を正しく学ぶことです。日本だけを悪とするのでもなく、欧米の植民地支配を正当化するのでもなく、事実を知り、その上で戦争を繰り返さないよう平和を築いていくことが、私たちに課された責任だと思います。

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